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新ガイドライン関連法案を廃案に(1)

米国に引きずらればかを見るな

元防衛研究所第一研究室長・前田 寿夫氏に聞く




 自自連立政権が一月十四日発足し、国会では新たな日米防衛協力の指針(新ガイドライン)関連法案成立に向け動きが急である。わが国の進路にとって重大な岐路をなす新ガイドラインの問題点について、元防衛研究所第一研究室長の前田寿夫氏に聞いた(文責 編集部)。


 新ガイドラインが作成されるまでの経過を振り返ってみよう。冷戦の終結、ソ連の崩壊で、軍縮ということが国際社会の重要な課題になり、米国では「平和の配当」という世論が高まり、かなり軍縮に踏み切った。九〇年頃、二百十万人あった総兵力が現在は百五十万に縮小されている。

 米国としては平和の配当で軍縮を実現するといろんな差し障りが起こる。一番大きいのは軍の中でお偉方のポストがなくなる、軍需産業がこれまでのような生産体制ではいけなくなる、ということが大変大きな問題になってきた。 日米安保条約も、もともとは「ソ連の脅威から日本を守る」という名目で結ばれたものだから、このままでは存在理由がなくなる、日本の基地からも撤退を余儀なくされる。そうなると東アジアから中東にかけて米国の軍事的影響力が大きな打撃を被る。何とか新しく日米安保の理由づけをしなければならない。

 クリントン政権になって、別の面から日米安保を意義づけようということで新しい構想が持ち上がってきた。これがナイ国防次官補(当時)が中心になってまとめたナイ・イニシアチブである。日米安保は単に日本を守るためのものではない。これまでも東アジア・太平洋の安全に貢献してきたし、今後もそういう方向で運用されなくてはならない、というものだ。

 この構想に乗ったのが軍縮の危機におびえていた防衛庁とそれに加えて外務省だ。外務省には国連の安保理常任理事国の地位を確保したいという執念がある。日米安保というきずなによる米国の後ろ盾がなければ常任理事国になるのは容易でない、従って、どうしても日米安保は今後とも存続していきたいということで安保再定義に飛びついた。

 安保再定義を柱にした軍事協力のあり方を再構築しようとつくられたのが新ガイドラインだ。七八年に作成された旧ガイドラインは、日本防衛を主眼にして日米軍事協力のあり方を規定したものだが、それだけでなく安保条約の極東条項を拡大解釈し、極東有事の際の米国に対する便宜供与について研究するということが盛り込まれた。本来、日米安保にはそのような便宜供与を提供するなどということは書かれていない。日米安保では、極東の安全のために米軍が日本の基地を利用することを許すということしかないが、旧ガイドラインで一歩踏み出した。

 今度の新ガイドラインではさらに踏み出して、日本の防衛よりは東アジア・太平洋に対する貢献ということが主要なテーマになってきた。それも『周辺事態』というような非常にあいまいな言葉でどこまで日本が米国の軍事活動を支援するのか、限界もない表現になった。旧ガイドラインでは極東有事の際の便宜供与の研究は十行足らずの軽い扱いしかされていないが、今度は日本の防衛よりは『周辺事態』における対米協力に力点が置かれている。

つくられた「北朝鮮の脅威」

 「冷戦終結」後、実際に日本周辺に何か軍事的脅威があるのかといえば何もない。それにもかかわらず、日本が名指しはしないものの、主敵としてきたのが朝鮮民主主義人民共和国だ。北朝鮮はミサイル開発が進んで九三年にはノドン一号の実験射撃が行われたが、これが本格的に配備されれば日本の大部分が射程下に入る、ということでミサイルの脅威を言い始めた。九四年には核疑惑があって米国が国連安保理でイニシアチブをとって北朝鮮に対する圧力を強化する、場合によっては北朝鮮を全面的に封鎖する、という動きをとったが、あわやというところでカーター元大統領が金日成に会って何とか収まった。

 当時、米国は本当に場合によっては北朝鮮と一戦交える覚悟だったのかもしれない。そこで実際に北朝鮮との間で戦闘が起きたら米軍に対する後方支援をどうするか、ということがわが国にとって重要な問題になった。

 仮に戦争が起これば当時の米側の見積もりだと米韓あわせて五十四万の兵力が打撃を受ける。うち米軍が五万二千。そうすると死傷者をどうするか、また軍事活動の後方支援を日本にしてもらわないといけない。当時、米側から日本側に突きつけられた支援要請は、千九百項目に及んだ。日本としてはそんな支援をする体制は整っていないということで、日米間の大きな問題になり、その後の新ガイドラインの作成にも考慮されるようになった。新ガイドラインの付表にリストアップされている四十項目の対米協力は、その一部である。

 新ガイドラインは米国が戦闘行動に入った時にどこまで支援するかということを協議して明文化したもので、非常に重要な意味を持っている。

自自連立政権で強まる対米協力

 こういう段階で自民党と自由党の連立ということが実現した。自由党の側から対米軍事協力をレベルアップすることが必要だという圧力がかけられている。その一つは、PKF本体業務(停戦監視、武装解除など)の凍結解除。これまで国連の平和維持活動に対する支援というのは、国連平和維持軍の活動を容易ならしめる補給や情報提供にかぎられていたが、今後はPKF本体にも自衛隊を派遣すべきではないか、と小沢氏はしきりに主張している。それをバネにして全面的な対米軍事協力にもちこもうという考えだろう。まず国連の平和維持活動に対して全面的に協力することを土台にして、米国のイニシアチブでつくられる多国籍軍に対しても自衛隊が参加できるような枠組みをつくろう、そうした環境づくりに今回の周辺事態法を重ねて米国単独の軍事行動についても自衛隊の協力を押し進めていくという方向に持っていこうとしている。したがってPKFの解除は対米軍事協力の強化の道筋をつくるためのステップで、危険な動きだ。

 また『周辺事態』の定義は、きわめてあいまいだ。小沢氏あたりが地理的範囲を勝手に線引きして中国をいらだたせた。政府は、地理的概念の要素はあるが、具体的にどことは言えない、などと言い、北朝鮮、中国の不信を招いている。政府が地理的線引きを避けているのは、米側にフリーハンドを与えるためで、これ以上危険なことはない。

 もともと北朝鮮の脅威などおかしなことで、日本の方が植民地時代に犠牲を強いた償いをしなければならない負い目を持っている。北朝鮮とのパイプを太くして誤解を大きくしないようにすることが大切だ。昨年八月末、北朝鮮から発射されたロケットの一部が日本を飛び越えて三陸東方の海上に落下したというので、日本側は中距離ミサイルの実験だとして、北朝鮮に制裁措置を発動した。北朝鮮は人工衛星だと釈明していたが、最近はあまり日本が居丈高に言うものだから、今度はソウルも東京もワシントンもわが方のミサイルの攻撃目標だ、と問題を投げかけている。

 日本が、米国一辺倒の姿勢をとっているうちは、アジアの日本に対する警戒心をぬぐいさることはできない。

若い人に理解と行動を訴える

 今の若い人たちは、新ガイドラインどころか、日米安保についてもほとんど関心をもっていない。かっての六〇年安保の時は今から考えられないほどの盛り上がり方で、とうとう岸内閣の退陣にまで追い込んだ。

 日本の国内では六〇年安保闘争は失敗したという評価が一般的で、当時の運動に参加した闘士の人たちからも、六〇年安保によって挫折感を味わった、という話が聞こえてくるが、強調しなければならないのは、この安保闘争の記憶が日米両国政府をがんじがらめにしばりつけて、その後の行動を非常に自粛させたということである。だからこそ、七〇年代半ばに旧ガイドラインができるまで、日米の軍事協力が本格的には行われなかった。その後は旧ガイドラインによって日米軍事演習も作戦共同研究も盛んになるということで、今では日米両国政府とも国民の反応をあまり気にしなくなっている。

 なんとか闘いを盛り上げることができないか。そのためにはこのままいったらどうなるということを、国民、特に若い人たちに訴えることが必要ではないか。このままいけば米国の戦争に巻き込まれて、日本も戦場になりかねない。日本がミサイル攻撃によって壊滅的事態に陥るのもき憂ではないということを大いに国民に訴える必要がある。ミサイル攻撃まで行かなくても周辺事態関連法案によって、日本の自衛隊が攻撃されて死傷者が出ることも、輸送業者が戦争に巻き込まれることもありえるし、様々なことが考えられる。そういった様々なケースがまざまざと分かるようにマンガなどで訴えてもよいのではないか。

 米国は盛んにイラクや北朝鮮を「ならず者国家」と言って、やたらにトマホークやミサイルをぶっぱなして「正義は我にあり」と気どっているが、さしづめ「ギャングの親分」というところであろう。ロシアがあのようにメタメタになっているので今ではこわいものなしだ、という気配が非常にみられる。日本でもよほど注意しないと米国の動きに引きずられてばかを見ることになる。こういうことを若い人たちに訴えて、行動を呼びかけねばならない。


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