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長編記録映画「鯨捕りの海」

海の男たちの労働を描く

映画監督 梅川俊明さんに聞く




 映画の世界に入ったきっかけというのは、僕の場合、十代の頃の体験が大きいと思います。たまたまふらりと映画館に入ったんですが、その時に見た作品にひどく心を打たれてしまって、骨抜きにされた。自分とはまったく関係のない他人の人生のはずなのに、映画を見ているうち、どんどん僕のことが描かれていく。共通の過去を持っていたり、自分でも嫌っていて、それでも受け入れている自分のような性格がさらけだされたり、状況こそ違うけど、具体的に対処しなきゃならない現実的な問題があって、あたかも僕の将来を予想させるような結末が待っているとか。映画館を出て、世の中は以前と何も変わっていないんですけど、僕の中では世界が変わりました。

 それから、当たりはずれもありましたが、快楽を求めて、足しげく映画館に通いました。そのうちに、僕も自分のことを映画で表現できたらという欲望が生まれてきて。一方で、別の仕事をしながら、好きな映画は片思いのままで一生つき合っていくという人生も考えてはいたんですが、片思いはつらくて、だめでもともとという気持ちでこの世界に飛び込みました。

 その後、助監督として、劇映画、ドキュメンタリー、テレビドラマと何でもやりましたが、僕にはどれもこれもおもしろいんです。どんな作品でも、人間を描くとは限らないんですが、僕の興味があるのは、他人であり自分である俳優さんや、撮影対象の方々をどう描くのかということなんです。

 今回、はじめて監督としてつくった映画が「鯨捕りの海」です。この作品で、僕の中に最初からはっきりしていたのは、クジラじゃなくて鯨捕りの世界を撮るということでした。クジラの生活にも激しい憤りや深い悲しみが内包されているかもしれませんが、一個人としての僕の興味はクジラを捕ることを生業にしている海の男たちにありました。

 クジラに関しては、捕鯨と反捕鯨という対立が社会問題になっている構造がありますが、そういう議論を調べていくうえで感じたのは、現場がおきざりにされているというか、机の上でいろいろ決めますから、現場はそれに従うようにといった感じがしたんです。それで僕は理論武装したいわけでもないですから、まず現場に行って、鯨捕りの人たちに会って、船に乗せてもらうことにしました。

 捕鯨船に乗って、クジラを捕るということを肌で感じて、いま思うことは、捕鯨に携わる人たちの仕事は、少なくとも尊敬に値する素晴らしい労働だということです。

 それは、ぜひ映画を見ていただきたいんで、ここで話すのはやめておきます。ただ、捕鯨によって、特に過去の乱獲という人間の愚かな所業のためにクジラの数が激減したのは事実ですし、種類によっては資源量が回復していないものもあります。そのことは、捕鯨に携わる人間なら忘れてはいけない苦い教訓だろうと僕は思っています。ですから、現在の捕鯨は、捕獲対象のクジラ資源を調べて、絶滅させないように配慮した形で行われています。

 だからといって「クジラは捕ってもいいんだ」という映画にもしたくなかったんです。捕鯨と反捕鯨というふうに、白か黒かどちらかひとつだけと決着をつけるべきではないと思っていましたから。たとえば、食物としてのクジラの需要が日本にあるように、他国の人には異なった価値観があるわけです。イルカと泳ぐことで、心を閉ざしていた子供が回復したりとか。

 外国の人がクジラの食文化を拒んだように、こちらもその食文化を押しつけるべきではないですよね。それぞれの価値観を認め合って、ともに生きていけるような状況が、映画を見せることで探れればと思っているんですけどね。

プロフィール
うめかわ としあき

 一九六四年福島県生まれ。長編記録映画「あらかわ」「絵の中のぼくの村」等で助監督を務める。初監督作品「鯨捕りの海」は、海外映画祭からの招待もあい次いでいる。


「鯨捕りの海」上映日程
一月三十日〜二月十二日 BOX東中野(東京)
二月二十七日〜三月五日 シネリーブル博多(福岡)
四月三日〜四月十六日 
京都朝日シネマ(京都)
いずれもモーニングショー

上映の問い合わせ先
シグロ 電話 〇三―五三四三―三一〇一


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