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 新ガイドライン反対 過去の過ちをくり返すな

 平和なくして音楽はない

外山雄三氏・音楽家に聞く


 日米防衛協力の指針見直し(新ガイドライン)と有事法制化の動きに、国内外から反対の声が高まり、各地でさまざなな運動が取り組まれている。世論を喚起し、全国的に闘いを強化することは、ますます重要になっている。そうしたなかで九月二十五日、「新ガイドライン反対の声をあげよう」と各界の著名人十四氏が共同アピールを発表した。アピールの呼びかけ人の一人、「反核・日本の音楽家たち」のメンバーで、NHK大河ドラマ「毛利元就」の音楽を指揮した外山雄三氏に聞いた。 



 私は一九三一年、柳条湖事件(満州事変)の年に生まれ、その後十五年間は戦争のなかで育った。私たちの年代は敗戦が中学生ぐらいであり、戦争はいかに庶民が抵抗できないものかをいやというほど知っている年代だ。
 新ガイドラインについて新聞に発表されているのを大ざっぱにみても、米軍が緊急時と判断すれば港、空港、道路や運搬手段などを強制使用できるとある。それだけでも大変なことになったと感じている。
 私は、そもそも日米安保は軍事同盟だと思っており、新ガイドラインでさらに強化されることには絶対反対だ。
 また後方支援だから安全だという意見がある。しかし、私たちが子どもの時には「戦争に勝つためには、補給路を断つ、後方を撹乱(かくらん)することが重要だ」と習った。それは今も昔も変わっていないはずだ。だから後方支援だから安全だというのはウソである。
 また橋本内閣は邦人救出と称してカンボジアへ自衛隊機を派遣した。だが「邦人救出、正義のため」という口実は、ほとんどの戦争で理由にされてきた。これにもだまされてはいけない。わが国には、戦争を放棄した日本国憲法がある。憲法を守るという視点が大事だと思う。
 最近、米軍艦船が各地で入港し、たくさんの人びとが見物に行っている。そんな人びとが「別に戦争が好きで来ているのではない。どんなものか見に来ただけだ。戦争になりそうになれば反対する」と言っている。
 ところが、私の姉は夫が獣医だったので戦争中は、いわゆる旧満州に行っていた。姉の夫は敗戦でシベリア送りになった。姉は子どもをかかえて顔にスミを塗って帰ってきた。その姉が「いざというときなったら、命をかけて戦争に反対する」と言う。しかし、いつが「いざ」という時なのか分かりにくくなっているのが恐ろしい。

戦争責任と償いがアジア交流の基本

 私たちのまわりには、沖縄、朝鮮、中国やアジアの人びとへの差別がある。留学生でも欧米の留学生には部屋を貸すが、アジアの留学生には貸さないなどという差別がある。それを日常意識していないといけないだろう。
 そして第二次大戦で、日本が中国などでどんなひどいことしてきたのかを忘れてはいけない。しかし、南京大虐殺はなかったなどという発言が出てきている。ドイツでは「アウシュビッツ」がなかったといえば、法律で罰せられる。日本は何を言っても平気な「自由」な国だからしょうがないかもしれないが。
 音楽家として中国の音楽家たちと接したり、南京や北京に行って中国人たちに戦争責任を謝罪すると、必ず「そんなことはもう思っていない」と言われる。だが、中国の人びとが忘れられるはずがない。戦後五十二年たった今でも、残留孤児問題は残っている。今日でも戦争で傷だらけにされた人びとが、中国、朝鮮、アジアにたくさんいる。
 フィリピン、シンガポールなどの音楽家とも交流している。私は、音楽家としてアジアの人びとに協力できることはしていきたい。彼らと友人にはなった。だが、戦争責任を許されたと思ってはいけないだろう。
 本来あるべき良好な関係をつくるには、われわれ日本人が過去に何をしてきたのか、それを償うには何をすればよいのかを考えることが基本だと思う。

音楽を通じて発言したい

 音楽家としての発言力しかないが、ガイドライン反対の曲があるわけでもないので、これからの運動は難しい点もある。だが、私も参加している「反核・日本の音楽家たち」がある。これは、一人ひとりの音楽家が自発的に参加するものである。長年の活動でようやく、機動性もできてきた。
 湾岸戦争の時に、戦争反対の音楽会を行ったが、約三週間の準備期間でできた。それは日本の音楽家たちのスピードでいえば驚異的に早かった。最近では東京都の文化施設値上げに反対するコンサートは二週間の準備で行うことができた。
 欧米では、戦争が起こりそうになったり、自然災害で被害が出れば、すぐさま音楽会が開かれる。このように時と場合によっては、われわれ音楽家も音楽を通じて発言していくことが必要だ。日本でもようやくそういうところに近づいてきた。
 そもそも作曲活動や音楽会などを戦争の時期に行うことは非常に難しい。戦争は人間の基本的な生活を破壊するものだ。平和な環境なくして音楽はない。私たちは過去の誤った道を再び歩くわけにはいかない。
 「反核・日本の音楽家たち」もそうだが、音楽家たちも発言していく環境が整いつつあるので、これからも当たり前のことを言っていきたい。


「反核・日本の音楽家たち」とは

 反核・日本の音楽家たちは、1982年2月に結成された。毎年8月6日、広島原爆投下の日に「グローバル・ピース・ジャパン・コンサート」を開催している。代表は寺西春雄氏。
 この会の目的や会員について「この会は人類の存続と文化の発展にとって必要欠くべからざる平和を願い、この地上からすべての核兵器の廃絶と軍備縮小を求め、さらに人類の生存を脅かすあらゆるものを排除していくために、音楽家の手による運動を推進することを目的とします。
 この会の目的に賛同する音楽家および音楽愛好家をもって会員とします」(会へのお誘い)と、している。


とやま ゆうぞう

 一九三一年生まれ。五二年NHK交響楽団に打楽器練習員として入団。五四年には指揮研究員となる。五六年NHK交響楽団を指揮してデビュー。六三年第十二回尾高賞、八一年第一回有馬賞、八三年第十四回サントリー音楽賞を受賞。現在、NHK交響楽団正指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団音楽監督。「反核・日本の音楽家たち」のメンバー。


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