970925


日中国交回復25周年

友好の発展でアジアの信頼を

不再戦の原点に立ち戻って

中江 要介・元中国駐在大使に聞く


 来たる九月二十九日は、日中国交正常化二十五周年にあたる。この期間、両国関係は経済的には正常化当時と比較にならぬほど深まったものの、政治的には昨年の歴史認識、安保共同宣言、尖閣諸島問題などで「最悪の状態」といわれるまで悪化した。この四半世紀を振り返りつつ、日中間の揺るぎない平和友好関係を築いてこそ、アジアの平和と安定に貢献し、またわが国がアジアと共に生きる展望が切り開かれるに違いない。国交正常化二十五周年にあたり、元中国駐在大使の中江要介氏に聞いた。



 日中国交正常化二十五周年にあたり、日本と中国との関係は、まず原点に立ち返って「両国は事を構えず、不再戦を誓う」ということが肝心である。中国は日本を理解し、日本は中国を理解する。そもそもお互いに社会制度が違い、それをわきまえたうえで、なおかつ平和友好関係を維持、発展させようとするのには、双方とも大変な努力がいる。こんにち、その点を再認識する必要がある。
 そういう意味で、過去二十五年間の反省としては、その努力が足りなかったと思う。両国関係は最初は友好ムードで進み、そのムードがさめたら、体制の違いを無視してお互いに自己主張が強すぎ、うまくいかなくなった。日本と中国は相争わない関係があって初めて、アジアにおいて重要な位置を占めることになると、日中双方ともわきまえなければならない。

反覇権の原則貫くべき

 ここで注意すべきなのは、日中双方だけの対話で友好ムードが盛り上がると、それがアジアや世界に対し、日中で覇権を求める動きではないかという印象を与えかねない点だ。
 アジア諸国は、日本に対しては戦争経験から警戒心を抱き、さらに戦争のけじめもはっきりつけず、閣僚の問題発言が続出したりしていっそう疑いを持つ。だから、わが国は戦争を繰り返さず、平和に徹しようとした五十年前の初心を貫く姿勢をはっきり示すべきだろう。
 中国については、強国となって力でごり押しをする米国のような覇権主義に走るなという、アジアの期待を裏切らないことだろう。
 それではどうするか。日中共同声明や日中平和友好条約にある反覇権主義を貫くべきだと思う。日本も中国もアジア・太平洋地域で覇権を求めず、また第三国が覇権を求めるのにも反対すると約束している。だから将来、アジア地域で誰かが覇権を求める試みがあれば、日本も中国もそれには反対することになる。そういう日中関係がアジアで評価されれば、日本はアジアのなかで生きていくことができるに違いない。
 他方、日米関係について言えば、最近の対人地雷禁止条約会議や東アジア経済協議体(EAEC、マハティール・マレーシア首相提唱)についての日本の対応を見ていると、米国に追従するばかりではないか、という印象を与えている。こういうことで、日本がアジアで居心地よく生きていけると考えるのはおこがましいとさえ思う。

首相の言行一致に注目

 国交正常化二十五周年での橋本首相の訪中だったが、それは「成功」だったといわれている。
 しかし、問題は中身である。例えば歴史認識問題について、首相は自分の言葉では語らず、前の村山内閣の談話が自分の考えであると述べただけである。だから、どこまで首相の本心なのかは不明のままだ。
 さらに疑問なのは、昨年あれほど日中関係を損ねた首相の靖国神社参拝について、ひとことも発言しなかったことである。日本の国会では「へまをした」という趣旨の発言をされているが、訪中では率直な反省の弁がない。だから、心底から何が問題なのかを分かっておられるのかという疑念を抱かざるを得ない。
 台湾問題については、中国側の「日米防衛協力の指針(ガイドライン)に『台湾問題』を入れるのはおかしい」という指摘は正しいと思う。これは「地理的問題」ではない。台湾をめぐって中台間に紛争が起きた場合、それを直ちに日米安保の対象とし、日米安保が作動するぞというのは、中国内政への武力干渉にあたる。
 日本は中台問題には口出しできない立場にあるので、橋本首相が大陸と台湾の中国人同士で話し合いをといった発言は、その限りでは正しいと思う。
 そもそも紛争や不安定要因のないアジアを実現するためには、さまざまな外交努力が必要である。アジアの安全を保障するメカニズムを、日本、中国、韓国、朝鮮民主主義人民共和国、東南アジア諸国連合(ASEAN)、そして米国も加わって一緒に作る努力をすればよい。しかるに、日本はその方はあまり熱心にならず、もっぱら日米だけの作業に熱中しているのは、はなはだ疑問である。
 首相の訪中については、結局「言えば、必ず行う」と中国の言葉にあるように、言えば必ず行うのか、そこを見極める必要がある。

国民が納得できる進路を

 日本は独自で自分の外交を歩むべきだが、その際、最も大事なのは、日本は戦後どういう状態から出発し、現状はどうなっているか、どうあるべきかを考えることである。
 例えば、従来の安保体制は日本の敗戦によって米国に押し付けられたもので、これは客観的な歴史事実である。六〇年安保で少しは手直しされたものの、基本的には冷戦下の米国の極東戦略の中にある安保体制だ。これについてこんにち、原点に立ち返った議論をする必要がある。
 日米安保はなぜ結ばれたのか、冷戦の終わった現在でも原形のまま継続すべきなのか、それとも世の中が変わったのだから考え直すのかなど、原点に立ち戻って考えるべき点は多くある。そもそも国をどう守るか、自力では力不足の場合どうするか、バイラテラル(双務同盟)、集団安保、国連などいろいろな方法、考え方があるが、どうするのが賢明か。
 ところが日本は戦後、無条件降伏からようやく立ち上がり、幸か不幸か冷戦構造のもとで米国に「温かく」手を引かれ、つき従っていくだけで、独り立ちできなくなってしまった。こんにちも、ガイドラインについても枝葉の議論になっている。残念ながら、国会やマスコミなどでも原点に立ち返った真面目な問題提起はされていないように見受けられる。
 日本の進路がどうあるべきかは、以上のように原点に立ち戻って主権者たる国民が皆でよく話し合って、納得の得られる方向に決められるべきではないか。


Copyright(C) The Workers' Press 1996, 1997