970905


許すな介護保険の導入
社会福祉が消えていく

受益者負担は福祉でない

全国老人福祉問題研究会会長
白十字ホーム(東京・東村山市)名誉園長 中川 晶輝氏に聞く


 今月下旬に開会が予想される臨時国会では、先の国会で継続審議となった公的介護保険法案が再び審議される予定である。しかし、政府の法案は、利用者の負担増、施設、人材の保証、利用手続きなど実際に介護が受けられるかどうか、きわめて大きな問題が浮き彫りになっている。そもそも公的介護保険制度は、政府の義務である福祉を放棄するものである。そうしたことから九〇%の人が、公的介護保険に疑問を持っているという調査さえある。公的介護保険の問題点などを現場から聞いた。


 保険というものは、生命保険のように、掛けたものは必ず戻ってくるのが原則だ。医療保険にしても今は二割負担などおかしい面があるが、掛けたものは返ってくる。ところが介護保険は最初から保険としての名に値しない。掛け金を掛けても返ってこない可能性がたいへん強いからだ。

 まず要介護認定の問題がある。介護を必要とする人は書類を出し、認定されれば介護を受けられるのだが、認定はその人間をいっさい見ないで書類だけで行われる。これでは介護が必要な人を判断できないだろう。

 例えば痴呆(ちほう)性の老人の要介護のチェックにしても、書類では分からない。痴呆性には波があるので、ちゃんとしている時もあるし「ボケ」ているときもある。一度の診断では分からない。こうしたことから介護申請で認定されない人がかなり出るだろう。

 次に施設が圧倒的に足りないという問題がある。現在も特養ホームへの入所を待っている人はたくさんいる。一年待ちなどざらである。在宅ケアにしてもヘルパーが足りず、家族の負担に頼っているのが実態だ。さらに保険主体が市町村となるので、小さい町村は施設をつくる財政基盤がない。介護の地域間格差が広がっていくことになるだろう。

 こうしてみると「いつでも、どこでも」介護を受けられることはまずあり得ない。今までの特養ホームは税金によって運営を支えられてきた(措置制度)。政府・厚生省は、措置制度は人間の自由な選択を奪い、利用者に卑屈な思いをさせていて好ましくないのでやめる、と主張している。しかし、措置制度が利用者に卑屈な思いをさせるというが、政府が卑屈にさせているだけだ。こういう言い方自体、盗っ人たけだけしい思いだ。

 そもそも措置制度は、憲法にうたわれた生存権を保障する一環である。逆に言えば、政府には国民の権利を保障する責任がある。だから措置制度は当然の権利で、何も恥ずかしいことではない。

 厚生省は「受益者負担の原則」を打ち出しており、入居料金の引き上げがあれば、直ちに金のない者は入れなくなる。介護保険が導入されれば現在の特養ホーム入居者の約七割は、その費用が払えないだろう。結果的には金持ちしか利用できなくなる。

 これはもはや福祉ではない。受益者負担ということは、負担できない者は受益できないということだ。福祉は負担できない者も、負担できる者も同じに扱うことが原則である。


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