970805


ガイドライン見直し 歯止めなき軍事大国化

米国と共にアジアに敵対

軍事評論家・藤井 治夫氏に聞く


 「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の見直しが九月に迫っている。しかし、先の自衛隊機のカンボジア派遣、梶山官房長官が発表した台湾海峡危機における対中作戦の検討など、ガイドラインの見直しを待たずしてその具体化、既成事実化が進んでいる。これを許せばわが国は、軍事大国化の道を速め、軍事でアジアと向き合うことになる。国民的な世論を喚起し、広範な反対運動をつくって闘わねばならない。軍事評論家の藤井治夫氏に聞いた。


 ガイドラインの見直しは、七八年のガイドラインを冷戦後どのように変えていくかという問題意識から出発している。常識的に考えると東西衝突という状況は考えられないから、日米安保は軍事協力の面で薄めていくというのが普通だ。ところが現実に進行している見直し作業というのは日米安保をまったく質を変え、より危険なものにしようとしている。しかもそれは日本が憲法を乗り超えて軍事大国化していく方向、その完成を目指している。
 私はガイドラインの見直し、安保再定義というものは日米が見果てぬ夢であった相互防衛体制をつくりあげることだと思う。

 ガイドライン見直しの特徴は、まず日米共同作戦というものを日本有事以外において展開することだ。いわゆる周辺事態が起きた場合に、日本にも影響が及ぶということで自衛隊が本来業務として警戒とか情報収集を行うことになる。しかもそれを日米が共同して行う。当然それは、武器の安全装置を外してそういう仕事をするわけで、私はこれは、今までのいうところの防衛出動といえるものだと思う。

 もう一歩踏み込んでいうと、周辺有事に際して日本はわが国を戦場にすることもあえて回避せず、断固としてやりますという宣言をしたことになる。

 日米安保は日本に対する武力攻撃が発生したときに発動されるものだったが、まるで違うことになる。私は相互防衛体制というふうに捉えている。相互防衛というのは自分の国がやられていなくても米国を手伝うということで、韓国は米韓相互防衛条約でベトナム戦争に大勢ひっぱりだされ、兵士三千人が死亡している。

 だから周辺事態において日本が米国と一緒に対応していくということを決めるということは、本来からいえば日本の運命にかかわることだ。ガイドラインの見直しみたいなことで決められるものではない。是非を問えば国民はみんなノーと言うだろう。だが既成事実をつくっていって最後に安保の改定と憲法の改悪を持ち出すという日程になっている。非常に大きな問題を含んでいると思う。

後方支援は集団的自衛権行使

 次に周辺事態が起きた場合の後方支援問題がある。これまでは日本有事の際でも、米国に対して自衛隊は後方支援をしないといっていた。なぜなら集団的自衛権の行使になるからだ。

 法制局が「戦闘地域から一線をかくしている」「時間的に三日も一週間も離れている」などというが、日本が攻められていない状況のもとで、支援をやるということは、やりはじめたその時から集団的自衛権の行使と捉えるのが常識だ。

 それが国際法のイロハで、諸外国は法制局の説明ではどこも納得しない。やはり結局、憲法の枠組みを離れてやるんだということがシグナルとして今伝わりつつあるということだ。これはアジアの中の日本、あるいは戦争責任の問題ともからんで、アジア諸国との間で深刻な亀裂を招くというふうに理解すべきである。

米国のねらいは中国

 それから台湾海峡危機の時に、日本が米軍に協力しようとしたと伝えられているが、今までの安保再定義の進行状況からすれば極めて当然だ。今度のガイドライン見直し自体も、朝鮮半島といっているが、朝鮮半島は比重として小さい。むしろ中国に向けられている。中国は大国であり人口も経済的にも今後ますます発展していく。米国は、アジア太平洋において米国に対抗するような大国の勃興を許さないという。したがって米国の最大の仮想敵国は日本と中国ということになる。その日本を使って中国に対抗して行こうというのが今度の見直しのねらいである。

 米国防当局などは、中国に対する対抗勢力として自衛隊がもっと自由に動いてもらいたいといっている。元米国防省日本部長のジェームズ・アワーは、台湾海峡危機を見たときに、「自衛艦を二、三隻派遣していたら、中国に対する重いメッセージになった」と発言している。

 ただ日本の協力といっても、軍事的にいって米国の三分の一くらいだから、日本の果たす役割は物資、マンパワー、資金である。兵たんがなくては米国は戦争ができないから、日本の役割は大きい。その約束をとりつけたのが安保再定義である。

問われる国民運動

 日本はこういうことはまったく予想していなかったと思う。

 防衛問題懇談会が細川政権の時にでき、村山政権のときに答申を出した。防衛懇はいってみれば「タカ派」の人物ばかりだが、出てきたものは今のものとはまったく違う。いわゆるアジアの一国としての立場、専守防衛の日本。米国の要求に対しては安保第六条にもとづく軍事協力で、少し色をつけましょうという程度のものだった。

 日本は「専守防衛」だし、憲法は九条によって戦争を否定している。自民党にしろ防衛庁にしろ、そういう前提条件のもとで、なんとか抜け道をさがしてやってきた。ところが安保再定義はそうしたものを吹き飛ばして新しくやっていこうというものだ。

 ガイドラインの見直しが進めば、あとは有事法制だ。次は自衛隊自体がもっと外へ出ていって活動することになる。最近の防衛庁の資料をみれば対外任務が多い。PKOを本来任務にするというのもでている。どんどん実績をつくっていく。そうして安保改正と憲法改正をやっていこうとしている。そういう全体像がある。

 今までのようにごまかし、ごまかしでやってきたのと違って、目標が何かを鮮明に出してくる。国民にも分かりやすい。その結果として、寝た子を起こす効果があり、国民運動が発展するのか。それとも攻撃が強まりこちらが負けてしまうのか、が問われている時期だ。

平和主義の正念場

 こうした背景だが、米国防総省のロビン・サコダ日本部長が去年八月、「安保共同宣言は冷戦後、日米がどう対処していくのかを決めたものだ。防衛計画大綱は日本のもので、東アジア戦略は米のもので、それぞれを合体させたのが共同宣言だ」と書いている。そして「冷戦後の両国が国益を追求するために立案された意義ある過渡期であることを示している」といっている。

 だから日米がそれぞれの国益をドッキングさせて追求するものが安保共同宣言だと捉えるべきだ。共同宣言を読めば読むほど、「アジア・太平洋」がキーワードになっている。周辺地帯とか、周辺有事はごまかしで、日米のアジア・太平洋地域での国益をお互いにカバーするのが目的だ。

 また自民党安全保障調査会が七月に出した文書では、在外邦人の輸送でも、自衛艦の使用、派遣先空港の安全確保の自衛措置と書いてある。派遣先の空港などにおける安全確保の自衛措置となれば拳銃持っているだけでは自衛措置にならない。空港を占領しなくてはならなくなる。結局、そうなれば権益確保のための海外派兵になる。邦人救出は口実で、かつて満州で「百万同胞を救え」と言ったのと同じだ。

 これではハードルは何もないと叫んだのと同じで、結果的には日本は米のお先棒を担いでアジア侵略をやるということにもなりかねない。日本が今度武力行使したらおしまいだ。これは日本の平和主義の正念場と考えてよい。

軍事力で国益は守れない

 アジアに軍事力で立ち向かうことが国益かというと、それはまったく違う。日本はアジア・太平洋に投資が増えており、それをバックできる実力が必要になると、多国籍企業が考えるのは当然かもしれないが。

 しかし海外に同胞がいるのは日本だけではない。中国だって華僑が海外に何千万人もいるが、中国がそのために軍隊を出したことはない。華僑は徹底した平和主義でその国の社会にとけ込んで暮らしている。商売は商売でやっている。日本はそうしたことが根づいていない。

 国会では、政府側答弁がふまじめだし、質問する側も勉強していない。きちんと問題提起する人がいない。マスコミも報道しない。だから草の根での議論が必要、そのために必要な事実を提示していく必要がある。

 沖縄での米軍基地の強制使用が行われたように、ガイドライン見直しで全国の民間空港、港湾が使われ、運輸労働者も強制される。広くいえば治安維持のような面も強化される。こうした事実をソフトに分かりやすく知らせることが大事だ。そのために情報を提供していきたい。具体的にどういうことが起きるのかということを航空の専門家や港の専門家などを招いたシンポジウムなどで積み重ねていけばよい。

 最後に日本の対中政策をめぐる国論の分裂は深刻になる。上手にやらないと日本は米国によいように使われ、はしごをはずされる恐れがある。日本が嫌われるだけ嫌われ、米国はよい顔をすることさえあり得る。日本にとって日中関係が一番大事だ。日本はアジアのメンバーだから、そこのとこをよく考えていくべきだ。


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