山田昭次氏

970705

歴史認識がアジアと共生の基礎

戦争責任を明確にせよ

立教大学非常勤講師・山田昭次氏に聞く

　最近、「新しい歴史教科書をつくる会」などが歴史事実を隠ぺいしようと執拗に画策している。橋本首相の靖国神社公式参拝、閣僚の侵略戦争肯定発言が後を絶たないように、支配層のなかに、歴史をねじ曲げようとする勢力が存在し、意図的な世論操作が行われているのだ。しかし、興隆するアジアと共生するために、わが国は歴史認識を明確にしなくてはならない。それなしにアジア諸国との友好関係は築けない。立教大学非常勤講師の山田昭次氏に戦争責任問題などを聞いた。

戦後補償めぐる情勢

　一九九〇年頃から日本国家や企業に対し、韓国・中国などの強制連行された労働者や「従軍慰安婦」の戦後補償を求める訴訟、およびこれを支援する日本人の運動が高まってきた。これに対応して日本政府は、一九九五年七月、「従軍慰安婦」に対する国家責任をあいまいにした「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させた。他方、東大教授藤岡信勝氏や小林よしのり氏らによって一九九六年十二月に組織された「新しい歴史教科書をつくる会」は、一九九七年度から使用される中学校社会科教科書に初めて登場する「従軍慰安婦」に関する記述を削除せよと主張している。日本人は、国家や企業の戦争責任や植民地支配責任を清算するかいなかをめぐって、いま重要な分岐点に立っている。

ナショナリズムによる戦争責任の免罪

　「自由主義史観」を提唱する藤岡氏や小林氏の最大のねらいは、ナショナリズム感情をかきたて、日本の戦争責任や植民地支配責任をあいまいにしようとしていることである。

　藤岡氏は、歴史教科書に書かれている日本のアジア侵略の記述を「コミンテル史観」とか、「東京裁判史観」というレッテルをはり、「これら二つの敵意の旗振り役が日本人自身であることが問題だ」（「われを軍国主義者と呼ぶなかれ」『文芸春秋』一九九七年二月号）という。

　つまり、日本のアジア侵略を認める日本人はロシアやアメリカなど外国の手先だというのである。しかし、ここにすり替えがある。いま日本の戦争責任や植民地支配責任を問うているのは、ロシアやアメリカではない。南北朝鮮や中国など、アジアの被害者である。藤岡氏はこうしたすり替えによって、アジアの被害者からの問いかけに謙虚に受けとめようとする日本人の姿勢をくずさせようとしている。

　小林氏は、最近の著書『新・ゴーマニズム宣言』３で戦没日本人兵士たちを取り上げ、「祖国のため家族のため子孫のためと思って死んでいった兵士たち」「敗戦になるとその国民と子孫から侵略者だった、虐殺者だ強姦（ごうかん）魔だと汚名をきせられ、人生を終えようとしている元兵士のじっちゃんたち。被害者はこっちじゃないか」と書いている。

　日本人戦没兵士たちは祖国のために戦ったのか。そうではない。天皇制国家によって戦場に引き出され、生命を犠牲にさせられたのだ。

　一九四五年八月九日、ソ連軍が満州攻撃を開始した直後、関東軍は大本営の命令で満州にいた日本人農業移民二十二万人の保護を放棄し、朝鮮「防衛」を行った。その結果、移民の子どもや女性、老人の殺傷、病死、強姦などの犠牲は甚大だった。移民の男子まで引っ張りだして日本軍が守ろうとしたのは国家であって、国民ではなかった。

　小林氏は政治的組織体としての国家を政治以前の民族が住む地域としての祖国にすり替えることによって、国家によって生命を犠牲にされた日本人兵士を祖国のために死んだといいくるめ、日本国家の戦争責任をあいまいにした。

何が日本人の誇りなの

　藤岡氏が「従軍慰安婦」の記述を教科書から削除せよ、という理由はつぎのようであった。

　(1)戦前、「従軍慰安婦」という用語はなかった、(2)「従軍慰安婦」は公認された公娼（こうしょう）制度の一環である、(3)「従軍慰安婦」強制連行説は確定された事実はない、④教科書に「従軍慰安婦」を記述することは日本人だけをおとしめるものである。他国の軍隊も慰安所を設けた、(4)人間の暗部を子どもにみせる必要はない。

　これらをいちいち論駁（ろんばく）する余裕はないが、日本人兵士が手当たり次第に中国人女性を強姦した結果、中国の抗日運動がいっそう高まるのをさけるために、日本軍は女性、とくに苛酷な植民地支配を受けている朝鮮人女性を「従軍慰安婦」として悪用したことは誰しも否定はできない。だが「従軍慰安婦」の記述は「自国の誇りを失」わせるからいけないというのが藤岡氏の最大の主張である（『汚辱の近現代史―いま、克服のとき』）。

　キリスト教徒吉野作造は、外国とくに朝鮮、中国からの対日批判に対して取るべき態度として、「事実をありのままに見る正直さを国家の名誉とか体面とかいうやせがまんのために少しでも隠してはならない」「事実をありのままにさらけ出し、虚心坦懐（きょしんたんかい）神の国建設のためにすべての悪を退けるという態度に出でたいと思う」（「日曜学校万国大会を機として」『新人』一九二〇年十月号）と述べた。

　吉野は日本を神の国に近づけたかったからこそ、朝鮮人、中国人の批判に耳を傾け、国家またはその追従者が隠ぺいする事実を確かめようとした。この態度こそ世界の被圧迫民族に対して恥じることのない日本人の誇りではないか。権力にとって都合が悪い事実を徹底的に抹殺するのが権力犯罪の特質であるから、権力犯罪の研究はきわめて困難である。被害者の立場に立った権力犯罪の究明が不十分だとせせら笑う日本人こそ、日本の汚辱（おじょく）を上塗りしているのではないか。

やまだ　しょうじ

一九三〇年、埼玉県生まれ。立教大学文学部卒業。三十三年間立教大学一般教育部専任教員を勤める。「近代民衆の記録６　満州移民」など著書多数。