今年は日中国交回復二十五周年にあたるが、日中関係には、尖閣諸島問題、歴史認識問題、台湾問題など多くの課題が残されている。わが国政府は、昨年の安保再定義により、日米安保をアジア太平洋地域にまで拡大し、アジアと敵対する道に踏み込んだ。以降、政府や保守政治家のなかから歴史をねじ曲げる発言が相次ぎ、悪質な反中国の宣伝も強まっている。二十一世紀はアジアの時代といわれるなかで、わが国と中国との友好関係は両国の平和と発展だけでなく、アジアの安定と発展にとっても重要である。逆流を打ち破って、日中の真の友好関係を打ち立てることは急務である。日中友好会館副会長である野田英二郎氏に聞いた。
今年は日中国交回復二十五周年に当たり、香港の復帰というおめでたい年である。来年は日中平和友好条約締結二十周年になる。この節目の段階で、日本は中国の改革・開放に協力する、何か大規模なシンボル的協力事業を提案すべきだ。環境などの基本的インフラ建設への協力は一つの格好の題目となるのではないか。
しかし、その前提として両国間の基本的問題における中国側の不信感を除くことが必要であろう。
日中関係は、九五年にいわゆる「台湾危機」や尖閣諸島問題などが起こり、国交回復以来最悪の状態になった。その後、十一月にマニラで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)において、橋本首相と江沢民主席の会談が行われてから、雰囲気がよくなってきた。池田外相の訪中もあり、今後首脳レベルの相互訪問の段取りをつけようということになった。
確かに日中関係は、最悪の状態から改善のきざしが出てきた。具体的には中国の核実験から停止していた無償援助が再開されたり、国連人権委員会で中国非難の決議案が出されるが、日本は共同提案国にはならないとのことだ。全般的によくなっているのは間違いない。
日本は、日米安保が日米両国間の同盟であると強調する一方で、これはどこの国に対するものではないといっている。米国も同じことをいっている。しかし、どこの国にも向けられない軍事同盟はあり得ない。軍事同盟はどこかの国に向けられたものである。欧米は、北大西洋条約機構(NATO)の拡大問題でもロシアに向けられたものではないといっているが、もしそうならNATO拡大は不要である。ロシア側の不信が消えていないのも当然ではないか。 日米安保も同じだ。どこの国にも向けられていないといいながら、同盟の強化が必要だともいっている。中国側は日米安保共同宣言の発表の際、直ちに日米安保が防御的なものから攻撃的なものに変わったと主張した。中国の基本的な疑念はいまだに消えていない。日本は少なくとも、日米安保は中国に向けられたものでないと明言すべきだ。これができない理由は客観的にも考えられない。
日本がそれにしばられる恐れがある。わが国政府は、日米安保は中国に向けられたものでないとはっきりいえばよい。例えば日中共同声明の時、当時の大平外相は国会で「日米安保条約があるが、日中は国交正常化したので、安保条約の運用は慎重に配慮する」と答弁している。しかし、昨年の日米共同宣言ではそうした発言すらまったくなかった。
日米安保によって日米は、同盟関係にあるというが、基地周辺の住民の同意が得られないという基本的な矛盾があり、日本全体からしても本当に日米安保を維持することに利益があるかどうか問題である。朝鮮半島にしても朝鮮民主主義人民共和国では飢餓がひどいといわれているのに、大きな軍事的行動に乗り出すことは考えにくい。
国際関係では、常に相手の立場にたって考えてみることも大切だ。もし、われわれが中国人だったら、どのように日本をみるか。日本は米国の圧力によって動かされているようにみせながら、実は米国の力を利用してアジア大陸へのかつての政治的野心をもっているのではないかと警戒する。中国の立場からみれば、歴史を想起しつつ、日本への猜疑(さいぎ)心を持つのはむしろ自然なのだから、よほど日本側が冷静に考えなくてはならない。
また日本は明治時代の福沢諭吉の「脱亜入欧」論以来、アジアを蔑視してきたが、確かに日本は経済力、技術力などでアジアのトップにたった。そのため日本はかつて「アジアの盟主」と自ら呼び、戦後も「アジアの代表」という言葉を好んで用いる外務大臣もいたが、誰も日本がアジアの代表になってくれとはいっていない。二十一世紀の現実から遊離して孤立しないために、日本は明治以来の歴史を一度、十分に考え直してみることも必要と思われる。
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