20020101

全国と連帯し基地撤去を

前沖縄県議会議員・前沖縄平和運動センター議長 
新垣 善春 氏に聞く、


 21世紀最初の年である2001年は、人類が真に平和的に共存できる世紀とするため、世界の人びとがそれに向かって努力しなければならないはずだった。しかし、9月に米国で同時テロ事件が発生し、それを口実に戦争が始まった。
 このテロは、起こるべくして起こったものだ。米国は中東、ラテンアメリカ、アフリカなどあらゆる地域で干渉を行い、気に入らない政権を転覆させてきた。とくに、パレスチナ問題でイスラエルに加担し、イスラム諸国の反感をかった。米国に対する憎しみは全世界にある。テロ事件は、これへの「しっぺ返し」だ。決して、原因なしに起きたのではない。
 米国は戦争を短期間で終結させ、「テロ首謀者」を捕獲するとしていたが、困難になっている。結局、報復合戦というドロ沼にはまりこむしかないのではないか。
 もし、日本の政治が健全であれば、両当事者の間に入って平和のために役割を果たせるのだろうが、日本政府は米国に追随して、参戦のための反動立法はもちろん、実際に自衛隊を派遣した。
 以上のように、2001年は、平和を願うという面では期待した年にはならなかったが、それに向けて努力することを、われわれに求めた年になったと思う。

基地と生活は両立せず

 沖縄に関していえば、自衛隊のアフガニスタン周辺への派遣では、またしても最前線基地として機能した。また政府は、米国に追随したことからテロの「報復」を恐れて、警官隊450人を米軍基地を守るために派遣した。銃口は県民に向いている。これを沖縄では、「オオカミ(基地)をネコ(警察)が守っている」という人もいる。
 交通への影響も大きい。基地の開放ゲートを減らしたあげく、いちいち鏡を車体の下に入れて点検するので、早朝から昼近くまで交通渋滞が続いている。
 こうしたことで、観光客は恐れて沖縄を訪れず、激減した。それが、県内産業に打撃を与えている。
 こうした中、「経済の稲嶺」といいながら、稲嶺知事の経済政策は失敗に終わっている。雇用問題でも失業率は上がっており、まさに「県政不況」だ。
 普天間代替基地の「15年期限」問題も、稲嶺知事は完全に政府にゲタを預けてしまっているが、15年と確約できない政府との間に矛盾もある。だが、米国の戦略からすれば、期限付きというものを受け入れられるはずはない。
 これまでは、振興策と引き替えに基地を認めさせてきたが、政府にも余裕はなく、それも通用しなくなる。こうして、基地と県民生活が両立しないということは、ますますはっきりしている。
 小泉政権は人気は高いが、安保・基地政策については、まったく米国の言いなりだ。「改革」という言葉は美しいが、それは民衆のためのものではない。幻想をもたず、真っ向から闘う姿勢が大事だ。

労働運動の役割が重要

 2002年は沖縄の「本土復帰30周年」だが、すでに、米軍支配の27年間よりも長くなった。だが、沖縄の現実は変わっていない。年明け早々の2月に、名護の市長選挙がある。これを皮切りに、いくつかの首長選挙があり、秋には県知事選挙がある。この間にわれわれがどれだけ力をつけ、秋の決戦に備えるかだ。
 そのためにも、普天間基地の名護移設、那覇軍港の浦添移設を大衆運動でくい止めることだ。
 防衛施設局は、那覇軍港の移設がすぐに進まないことを見越して、那覇港の改修を行おうとしている。また、防衛施設局がたくらんでいる本部町への対潜哨戒機(P3C)基地建設計画も、なんども抜き打ち測量などを行おうとしてきたが、住民が日常的な闘争を行っている。
 政府は計画自身は断念していないが、すでに予算化できなくなっているほどだ。つまり、大衆運動で追い込んでいる。これに自信をもって、もっと沖縄現地で、あるいは全国と結びつく運動を強めることだ。そうすれば、基地の県内移設を阻止することも不可能ではない。
 そのためには、労働者が中心となって闘いに立ち上がることが大事だろう。そして、地域住民も巻き込んでいく。とくに、労働運動指導部の役割が決定的だろう。
 ただ、日本全体をみると、正直言ってもどかしさも感じるところもある。この状況であれば、以前なら国会が包囲され、政府がびくついていて当然だ。
 沖縄は地理的歴史的に、中国福建省や台湾など、アジアとの交流が盛んだ。米軍基地撤去、日米安保を破棄し、沖縄を平和の拠点にしなければならない。そういう運動をめざして、沖縄や全国の各階層の人びとが話し合い、結束を強めることが求められているのではないか。