20010101

独立・自主の進路打ち立てよう

本年前半にも日朝国交を

朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会代表、
参議院議員・清水 澄子


 二十一世紀にわが国は、どのような国の進路を選択するのか。昨年は、朝鮮半島で、南北首脳会談や米朝対話など大きな変化が大きな変化があった。だが、隣国であるわが国は、日朝国交正常化を意図的に遅らせている。わが国がアジア諸国と共に平和な東アジアの環境をつくり出すためには、日米基軸を脱し、真のアジアとの共生の道を進むことが切実に求められている。二十一世紀の初頭にあたり、日本のとるべき進路、日朝国交問題などについて、清水澄子・参議院議員に聞いた。

 謝罪と補償にもとづく、朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化がもっとも緊急の政治課題だということが、政治家はもちろん、国民の中でも十分認識されていないのが問題だ。
 日本は、朝鮮を植民地支配するという大きな過ちを犯し、朝鮮民族に対して多大な被害を与えた。しかも、「創氏改名」など徹底した同化政策を進めたわけで、単なる植民地支配ではない。
 ところが、私たちも想像できなかったほどに南北朝鮮の関係が進展した。米国も、以前は北朝鮮を崩壊させる戦略だったが、これを転換した。欧州諸国も次々と国交を樹立している。ところが、日本は過去の問題があるにもかかわらず、これを急ごうとしていない。常に、「ミサイル」とか「李恩恵」、今度は「拉致疑惑」など、自分自身の過去の清算が第一の課題なのに、他の問題を同列にもちこんでいる。
 これは、やはり、朝鮮民族に対する決定的な差別意識があるからだろう。過去の清算は、日本が世界で信頼される基礎になるものだ。なんとしてもきちんと行う必要がある。ぜひとも、二〇〇一年の早いうちに国交正常化を行うべきだ。
 注意しなければならない第一の点は、この問題は日朝間だけの問題ではないということだ。朝鮮民族は一つで、政治的に分断されただけなので、日本に対して過去の清算を迫る気持ちは南北に変わりはない。朝鮮との交渉は韓国国民すべてが見守っており、九五年八月の「村山談話」ですまされるものではない。あれは、朝鮮を直接に指したものではないし、植民地支配と戦争時の強制連行・強制労働、性奴隷なども含めて、反省と謝罪を行ったものではない。本当に反省し、誤りを認識する姿勢があれば、北朝鮮はそれ以上のムリは言わないであろう。
 第二の点は、先日、日本の従軍慰安婦問題を裁く国際法廷が行われたが、東京裁判当時は運用主体が欧米の大国で、植民地支配にともなう犯罪は裁かれなかった。日朝交渉は、それが意識された国交交渉となっている。だから、過去の交渉と質的に違った、歴史的な戦争責任の処理が求められている。わが国にとっては、それにふさわしい謝罪が求められている。
 第三に、「謝罪」という場合、これは「責任」ということだ。よく比較されるドイツは、謝罪という言葉は使っていない。犯した犯罪は、どれだけ謝罪しても償いきれない。だから、責任をもって歴史を記憶し続け、次の世代に教育していくことが必要だ。その意味でも、最近の教科書の反動化は大問題だ。
 もし、日本政府が道義的責任を明らかにし、政治的に解決できないとすれば、南北間の和解と協力・統一の動きをとん挫させることにもつながりかねない。積極的に和解と平和の動きを促進し、京義線再開への経済支援などを行ってはどうか。

国民的運動こそ重要

 また、先日発表された二十五兆円にも及ぶ「中期防衛力整備計画」では、空中給油機導入やテロ・ゲリラ対策を盛るなど情けない内容だ。平和政策などといいながら、こうしたことを行っていては、アジアから信頼されない。
 アジアは経済的にも独自の傾向を強めているし、ARFには北朝鮮も参加している。こういう場での集団的安全保障が必要で、いつまでも相手を「仮想敵」のように扱ってはいけない。
 その意味で、昨年の国会で可決した船舶検査法など、安保再定義に基づいて日米安保の軍事的側面が強まっているのは、時代遅れだ。南北間の緊張が緩和すれば、あえて沖縄に米軍基地をおいておく必要もない。日米関係も軍事的関係だけではなく、平和友好条約的なものに切り換えることが必要だ。
 日朝国交正常化を求める国民的な行動を起こすことが、二〇〇一年の課題ではないだろうか。