20010101

独立・自主の進路打ち立てよう

原点から国のあり方考えよ

元駐中国大使・中江 要介


 二十一世紀にわが国は、どのような国の進路を選択するのか。昨年は、朝鮮半島で、南北首脳会談や米朝対話など大きな変化が大きな変化があった。だが、隣国であるわが国は、日朝国交正常化を意図的に遅らせている。わが国がアジア諸国と共に平和な東アジアの環境をつくり出すためには、日米基軸を脱し、真のアジアとの共生の道を進むことが切実に求められている。二十一世紀の初頭にあたり、日本のとるべき進路、日朝国交問題などについて、中江要介・元駐中国大使に聞いた。

 戦後、わが国は政治・軍事・経済の何ごとにつけても、米国との関係を最優先してきた。しかしそれは、日本政府や国民の自主的な意思として、そうしたのかどうかは疑問だ。
 なぜなら、日本は米国に占領され、ある意味でそうせざるを得ない立場に追い込まれた。それが続いているうちに、あたかも自分の意思で米国との関係を最優先しているかのように思いこんでしまった。つまり、国民レベルで大議論をして、決めた進路ではなかった。要するに、わが国は力のある米国の世界戦略に従うという道を、歩まされてきた。
 米国との関係を最重視した結果として、アジア諸国との関係が十分でなかった。これはある意味でやむを得ないことで、日米基軸でいく以上は米国のアジア政策を超えられず、それ以外は選択肢に入らない。米戦略の内側で独自性をどれだけ出せるかということ以上ではなく、米国の利害と正面衝突することはできないままで推移してきた。
 つまり、戦後の外交政策は「理念の外交」ではなくて、日米基軸のもとでの現実利益を追求するという外交になった。だから、戦後五十年以上たったいま、国のあり方について、改めて原点に戻って考え直した方がよい。
 それにしても、日本が提案したことで、アジア諸国が心から納得し、「日本は信頼できる友人」と心服するようなことはなかった。経済協力は行ってきたにしても、「カネの切れ目は縁の切れ目」というようなことになっていないか。その最大の理由は、米国の政策に追随するだけで、心を打つような外交がなかったからではないか。そのため、わが国には外交がないと、諸外国にタカをくくられている面がある。
 極端にいえば、米国との関係でもそうだ。米国にとっては、冷戦が終わったので日本の重要性は激減した。米国の関心は、もはや米軍基地だけということになりかねない。その結果、米国にとって大事なのは日本よりも中国だ、となってもおかしくない。
 二十世紀を振り返ると、だいたい以上のようなことが言えると思う。

早急に必要な日朝正常化

 二十一世紀、日本がアジアで尊敬されるには、二十世紀に犯した間違いをしっかり認め、二度と繰り返さないために自主的に考え、自分の口でアピールすることだ。
 何よりもまず、東アジアにおける冷戦の後遺症をいつまでも残しておくことは、日本にとってよいことではない。つまり、朝鮮民主主義人民共和国と台湾の問題だ。
 第一に、北朝鮮の問題については、まず相手を「国」として認め、国交を正常化することだ。それが出発点なのに、「拉致(らち)疑惑」とか「ミサイル問題」などを条件のようにいうのは問題だ。
 拉致は人権問題だというが、それでは三十六年間の植民地支配で、日本はどれだけ彼らの人権を尊重したのか、それに対する反省もないままに拉致疑惑が解決しなければ交渉できないなどというのはとんでもない思い上がりで、「人権外交」の美名に便乗した言いがかりに過ぎない。
 相手がいまどういう体制でイデオロギーをもっていようと、日本が過去に植民地支配したことに対しては、反省の念をもたなければならない。相手を「国」としても認めないようなことでは、日本はとてもアジアで責任ある行動はとれないだろう。
 第二に、台湾問題は中国の国内問題で、日本が横からいろいろ言うべきではない。米国は、「台湾は力で守る」という彼らの政策にもとづいて言動する。日本は台湾を植民地支配した歴史があり、米国とはまったく事情が異なる。
 そこで、日米安保条約をどうするかだが、米国は安保が不要だとなると日本(極東)に米軍基地がおけなくなるので、わざわざ北朝鮮や台湾海峡が不安定だと主張して新ガイドラインをつくった。
 日本も独立国家として、最小限度の防衛力は必要だが、それは別に「敵」をつくらなければならないというわけではない。また、いままで日本は、究極のところは米国の核抑止力に依存してきた。核抑止力がなければ守れないと思っている以上は、米国の核の傘の下にはいるか、独自で核武装するかしかなく、核抑止力が防衛の究極だという信仰から脱することが問われている。

東アジア独自の平和秩序を

 二十一世紀には日本は軍事的な防衛力よりも、もっと外交に力を入れるべきだ。国を守る第一線は外交で、敵をつくらないことだ。「敵」をつくらなければ過剰に守る必要はない。中国の軍事力増強を脅威だという人もいるが、軍事力なら米国が世界一だが、日本にとって脅威ではないのはなぜか。
 二十一世紀には、もっと理念をもって、外交の力で問題を解決することから始めるべきだ。核廃絶のための外交を重視し、核抑止力というものを考え直すことが求められている。
 これらを念頭に置いた上で、東アジアに一つの秩序をつくることを、真剣に研究しなければならない。北朝鮮との国交が正常化され、台湾問題にも前進が見られたときに、東アジアの秩序をどうするのか、域外大国の支配や介入を排除した仕組みが必要だ。
 つまり、多国間の広義の安全保障の仕組み、政治・軍事・経済・文化の協力体制をつくることだ。政治的には、体制のいかんにこだわらない主権尊重の平和共存。経済的には、相互補完の経済協力体制。軍事的には集団安全保障体制の下で武力の非行使、東アジアの非核化。文化交流では、人的交流を盛んにし、相互理解を深めることが必要だ。
 こうして、知日派、親日派をアジアの各地にもっていれば、紛争を未然に防ぐことができる。これらを総合した、幅の広いアジア諸国間の連帯をつくっていくことだ。たとえば、経済的には東アジア経済協力会議(EAEC)、安全保障ではASEAN地域フォーラム(ARF)のようなイメージを拡大強化することが考えられよう。
 このような目的意識のもとで、地道に衆知を集めることが必要ではないか。いずれにせよ、二十一世紀に通用する自主的なアジア外交政策を確立し、誠実に実行するのが政治家の責任だと思う。