20001105


パレスチナ問題の歴史的背景

米英の支配・干渉に根本責任

阿部 政雄・「日本・アラブ通信」主宰に聞く


 イスラエルの右派政党リクードの党首が、九月末に挑発的にエルサレムのイスラム教聖地を訪問したことをきっかけに、パレスチナでの衝突が激化している。イスラエルや米国に対する憤激は、一挙にアラブ諸国全体に拡大した。米国はこの地域での主導権確保のため「和平」工作を行っているが、この問題の根底には、米英帝国主義が石油などの権益確保のため、中東に対して歴史的に支配・干渉を行ってきたことがある。真の和平には、何よりも大国の干渉を排し、パレスチナの民族独立の権利を完全に保障することが必要である。中東問題に詳しい阿部政雄・「日本・アラブ通信」主宰に聞いた。


 パレスチナ問題の根源は、欧米諸国がパレスチナの地にイスラエルという人工国家をつくり、イスラエルを通じてアラブの発展を阻止しようとしているところにある。
 最初にこの策動を行ったのは英国だ。それは、スエズ運河を通じてアジアから収奪した富を自国に送り込む所が大英帝国発展の大動脈であったからだ。ゆえに、運河を守るかなめの位置に、人工的なユダヤ人国家をつくろうと考えついた。
 欧州におけるユダヤ人差別の歴史は、中世の封建領主が支配を確立するために、農民よりもさらに過酷な支配を受ける人びとをつくりだしたことに起源をもつ。そして、差別を受けて苦しんできたユダヤ教徒の中に、独自の国家をつくろうという考え方(シオニズム)が生まれてきた。これはユダヤ人の中では少数派の考えだったが、帝国主義国、とくに英国がこれを利用し、自らの権益維持に役立つ国をつくろうとした。
 そして、英国は第一次大戦中の一九一七年に「バルフォア宣言」を発して、「ユダヤ人国家をつくることを支持する」と表明した。
 この前後から、英国の後押しでシオニズム運動として、ユダヤ人が英国の委任統治領だったパレスチナにどんどん移民してきた。当初パレスチナ人はその政治的野心を見抜けず、温かく迎え平和的に共存していた。しかし、徐々に移民ユダヤ人は「手に入れたパレスチナ人の土地は絶対に返さない」「そこでパレスチナ人は働かせない」「パレスチナ人のつくった物は買わない」という原則を掲げ、実行に移していった。
 こうしてパレスチナ人のシオニズムへの反発が広がり、衝突が起きた。第二次大戦前には、英国軍全体の三分の一の兵力を投入してパレスチナ人の闘いを鎮圧した。パレスチナ人指導者は根絶やしにされ、以降しばらくの間、パレスチナ人自身の闘いは十分起こらなかった。英国は、ユダヤ人の支配地域を広げる政策を行った。

イスラエルは米国の「傭兵」

 しかしそれでも争乱は収まらず、第二次大戦後は国連、主として米国がこの問題を引き継いだ。というのは、ナチス・ドイツにヨーロッパを追われたユダヤ人の半分はパレスチナに、半分は米国に渡った。米国はシオニズム運動を助け、選挙の際にはユダヤ人の票を利用するというのが「国是」になった。
 米国はイスラエルをずっと支持し、世界でもっとも援助している国だ。イスラエルは、石油という米国の権益を守る傭兵となった。しかし、ユダヤ人も帝国主義の犠牲者であることに変わりはない。
 戦後の四七年十一月、米国は国連で「パレスチナ分割案」を出した。米国は、当時加盟国が七十カ国(アジアはわずか三カ国)に足りなかった国連で三分の二の賛成をとってこの案を通すために、投票を二回も延期し、小国に経済援助をちらつかせて懐柔したり、力で脅迫したりして、ユダヤ国家を支持するロビー活動を行った。こうして、やっと三分の二を得た。
 この「分割案」は、パレスチナの土地の半分近く、しかも肥沃(ひよく)な地域をイスラエルに与えるものだった。これにパレスチナ人が反対したが、イスラエル軍がパレスチナ人の村を強襲し虐殺を行うなどした。四八年五月、イスラエルが建国を強行し、反対するアラブ諸国との間で第一次中東戦争が起こった。
 米国の手引きでイスラエルの国連加盟は承認されたが、それには条件がついていた。それは、追い出したパレスチナ人の帰還を認め、帰国を希望しない者には補償を行うというものだ。これはその後も、いく度となく決議されている。しかし、イスラエルは決議破りの常習者だ。この問題に限らず、パレスチナ問題のいちばんの解決策は、イスラエルに約束を守らせることだ。

大国の干渉ぬきの和平を

 その後、第二次(五六年)、第三次(六七年)、第四次(七三年)と中東戦争が戦われ、イスラエルはヨルダン川西岸やガザ地区を占領した。また、九一年の湾岸戦争では、イラクのサダム・フセインが「ダブル・スタンダード」問題を提起し、米国のイスラエル優遇策を批判した。九三年、パレスチナでの暫定自治がスタートした。
 現在、暫定自治の期限切れが近づき、米国の仲介でパレスチナとイスラエルと間で和平交渉が行われている。もちろん、平和であることはよいわけだが、それはイスラエルが国連決議を守る限りにおいてである。イスラエル側が勝手に入植地を増やしているのに、「和平」というのは無法ではないか。パレスチナ人は自分の土地を取られて放り出され、戦車やヘリコプターまで持ち出されて攻撃されている以上、闘いもエスカレートせざるを得ない。
 もちろん、最大の責任は米英にある。と同時に、その他の国連加盟国も、決議を守らない米国やイスラエルに断固たる措置をとれない国連の現状を認めてしまっている。
 パレスチナ人が沖縄の状況を非常に気にしていることを報告したい。これは、自分たちがイスラエルに強制的に土地を奪われているからで、沖縄の土地が米軍基地に取られている姿を自らになぞらえている。人間的権利を奪い、土地を奪うことは国連憲章違反でもあり、もしも日本政府が「国連の尊重」をいうのなら、イスラエルに国連決議をすべて尊重させ、とくに武力で占領した領土(ヨルダン川西岸、ゴラン高原など)からの撤退を求めた六七年十一月の国連安保理決議を履行し、パレスチナ人との相互尊重、平和共存を図るように促すべきであろう。
 しかし将来はともかく、当面、罪のないパレスチナ人、ユダヤ人の無用な殺し合いをやめさせるのは、英国の歴史学者アーノルド・トインビーが六〇年代末に主張していたように、ほかならぬわれわれ一人ひとりを含めた人類の責任であろう。
 国連憲章でも日本国憲法でも、「個人の尊厳」や「民族の自決」をうたっている。国連決議を守らせ米国の横暴を抑えるには、各国国民が自国政府に、米国を抑える外交方針をとるよう求めることこそ、真の国際貢献ではないだろうか。


あべ まさお
 二八年生まれ。南山大学英文学科中退。駐日エジプト大使館文化部、アラブ連盟東京代表部勤務などを経て、九九年まで東海大学講師。日本ペンクラブ国際委員。著書に「アラブパワーは世界を動かす」(講談社)、「パレスチナ問題」PLO研究センター編(亜紀書房)など。

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