20001025


ユーゴスラビアで政変

許されぬ米欧の内政干渉

岩田 昌征・千葉大学教授に聞く


 ユーゴスラビア連邦ではミロシェビッチ政権に代わり、コシトゥニツァ政権が成立した。この事態を、マスコミはあたかも遅れた東欧「革命」のごとく持ち上げた。だが、米欧が昨年の空爆や経済制裁など、同国への介入を継続し、新政権の発足後、直ちに制裁の一部緩和や経済援助を発表するなど露骨に干渉している実態がある。「ミロシェビッチ政権による人権侵害」を口実とした、このような内政干渉は断じて許されない。ユーゴ情勢について、岩田昌征・千葉大学教授に聞いた。


 米欧のユーゴスラビアに対する干渉は、経済制裁や九九年三月から六月までの北大西洋条約機構(NATO)による空爆に典型的だが、この約十年間、ずっと続いてきたものだ。九一年頃は、ドイツとバチカンがイニシアチブをとって、クロアチアとスロベニアを旧ユーゴ連邦から独立させた。その後のボスニア紛争やコソヴォ紛争では、米国がイニシアチブをとった。こうした内政干渉は、断じて許されることではない。
 米国内には、九一年の段階で、ユーゴ連邦と連邦軍をいかに解体して、ミロシェビッチ体制をくつがえすかという九段階のプログラムがあった。このプログラムは二年ぐらいで完了する予定だったようだが、ミロシェビッチは十年間、粘りに粘った。多くの野党指導者たちは、選挙に向けて米欧から資金援助を受け、ハンガリーまで出かけてオルブライト国務長官と会談するなど、自分たちがいかに米欧から信頼されているかをいろいろな形で誇示した。

ミロシェビッチ「独裁」はウソ

 米欧や日本のマスコミは、ミロシェビッチ前大統領をヒトラーやムッソリーニなどと同列に扱っているが、彼は決して「独裁者」ではない。
 まず、ミロシェビッチがマスコミを握っていて、反ミロシェビッチ報道がまったくないというようなことは、ウソだ。もちろん、彼は中央の新聞やテレビを完全に掌握していたが、国民はそこからだけ情報を得ていたわけではない。
 実際は、反ミロシェビッチの新聞の方が発行部数が多い。週刊誌レベルでは、体制派の週刊誌はほとんどなく、中立や野党寄りが多い。テレビ局も、ミロシェビッチ寄りの放送しかしないのは中央のテレビやラジオだけで、セルビアの地方にはいろいろなテレビメディアがあり、連合してミロシェビッチの統制に服さない報道をしていた。
 首都ベオグラードの週刊誌には、米欧によるミロシェビッチ、カラジチ(ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人最高指導者)、ムラディチ(ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人軍最高司令官)の戦犯指定の記事が写真入りで掲載されているほどだ。大統領選挙と同時に行われたベオグラードの市議会選挙では、百十議席の内、野党連合が百五議席、ミロシェビッチ与党は四議席にすぎなかった。
 こうした実際があるのに、なぜ日本では「独裁」と書かれるのだろうか。こういうことこそが問題だ。
 今回、新たに大統領となったコシトゥニツァ(セルビア民主党)だが、単純に米欧の「言いなり」とはならないだろう。彼もセルビア民族主義者だからだ。彼は、セルビアがコソヴォやボスニアのように米欧行政官の「総督」統治になり下がる危険性を強調する人物だ。
 ボスニアの新聞によると、八月の段階で、ユーゴの野党陣営は誰を大統領選挙に擁立するかで会議を開き、それには米国の使節や連邦軍の高級将校も参加していたという。米国側は、ジンジチ(民主党)を主張した。彼は空爆の際には国外に脱出するなど、米欧からすればもっとも「安心できる」人物だった。しかし結局、無名のコシトゥニツァが擁立された。セルビア民主党は小さい党で、民主党から分裂した党だ。
 ユーゴでは七四年、コソヴォ自治州に準共和国的な地位を与えたが、ミロシェビッチが八九年にその地位を廃止した。ところがコシトゥニツァは、七四年当時、コソヴォ自治州に準共和国的な地位を与える憲法改正に反対し、大学を追われている。今回の選挙の中でそのことを誇っている。また、米欧が要求しているミロシェビッチの「引き渡し」にも、現在のところ応じる気配はない。
 米欧の長年の干渉がなければ、ユーゴ国民はもっと早く、ミロシェビッチ政権に代わって、コシトゥニツァであれ誰であれ、自主的に選択していただろう。
 米欧はミロシェビッチを「共産主義者」で「民族主義者」だと見誤ったのだという見方もある。彼は実際には「共産主義者」でも、真の「民族主義者」でもない。もちろん、リベラリストでもない。彼の問題は、どんな政治理念のためにあれほど権力に執着するのかが、国民や私たちのような第三者にまったくわからないことだ。それを米欧は見誤ったし、オルブライトなどはユーゴを九〇年の「東欧革命」が起きなかった唯一の国、ヨーロッパに残った最後のボリシェビズム国家だと思っていた。だから一生懸命に干渉して、その打倒が「やっと達成された」と。これがとんでもない誤解だ。

「人道的介入」は危険な論理

 どの国を見るときでも、それを多面的に見ることが大事だろう。それを一つの「市民主義的」価値観からだけみると、「人道的介入」という口実で、軍事行動まで行うということになる。
 例えば、この「人道的介入」という理屈を普遍化すれば、「チベットへの人権侵害」を口実に、日本の基地を使って、トマホークミサイルや爆撃機が中国の北京や上海に向かって飛ぶことだってあり得る。こんな論理が許されれば、日本がアジアの中で生きていく上で大問題だ。
 かつて、ユーゴは共産党支配でも、親西欧の国だった。それが冷戦体制が終わり、ユーゴは米欧にとって「用済み」になり、突如として「人権」問題をもち出されて攻撃された。「人道的介入」の論理とはそういうご都合主義的なものだ。だから、内政干渉や空爆に反対する必要がある。
 米国や欧州の主張だけを受け売りせず、ミロシェビッチ「独裁」の諸相だけでなく、米欧の干渉の具体的様相をも報道すべきである。ジャーナリストや研究者は、事実の多面性に忠実であるべきだろう。


いわた・まさゆき
 三八年、東京生まれ。東京大学卒。一橋大学大学院社会学研究科修了。北海道大学スラブ研究センター教授などを経て現職。著書に「凡人達の社会主義」(ちくま書房)など。


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