97新春旗開き


大隈議長あいさつ(4)

結び、展望について


  今世紀末から来世紀にかけて展望すると、きわめて不安定な時代です。マクロ的に見ますと決して安定に向かっているのではなくて、危機は深まっていると思います。世界経済一つ見ましても、先ほど私はアジアとかヨーロッパがどうこうというようなことを申し上げましたが、貿易の不均衡、通貨体制や金融不安を見ただけでも分かるように、万事、突発的なことがなければ、の話です。

 一昨年の旗開きで私は、その前年のペソ危機とかかわって、世界は例えばアジアとていつあの種のことが起こるかも分からないと言ったことがあります。それほど各国の経済が前進しているといっても、資金の流れを見ますと逃げ足の早い資金でできあがっている。こうした状況などを踏まえて、「大変な時代ですよ」と申し上げましたが、こんにち危機はさらに深まっていると思います。

 ドルが基軸でありますが、このドルの不安があらゆる経済や政治の背景に、いつも影のように付き添ってその前途を分からないものにしています。例えば、財やサービスとかかわって動くカネは、年間三兆ドル程度にしかすぎない。他方、証券会社で博打(ばくち)のようにデリバティブなどで動いているのは、一日に一兆ドル超の巨大なものです。つまり貿易で動くカネの百倍ものカネが、実際にはそういいう博打に使われている状況なんですね。

 日銀のちょっとした研究論文がインターネットにのっておりましたが、実際どれくらいのカネが動いているかといいますと、四十七・五兆ドルぐらいだろうと書いていました。その中には、「デリバティブは役立つ、危機を分散できる」と書いてある。つまり特定の企業・人がリスクを逃れて、分散化するから都合がよい。しかしこれは同時に、どこか一カ所がつぶれれば、世界は途端に危うくなる。だから危険と裏腹だ、と書いてあった。

 だから私は党内のある学習会で、「いま銀行の状況を見ていると、フグ屋がとっても繁盛している」とたとえた。「ハイリターン、ハイリスク」ですね。おいしいが命がかかっている。つまり、銀行が青年を使って、コンピュータで世界中で盛んに博打をやっているわけですから。しかし、巨大なカネが動くわけで、一国、二国がいっぺんに吹っ飛ぶ。そういう危険な博打のなかで世界経済が揺らいでおり、世界の何十億の人びとの運命が揺ら

いでおるわけです。こういう時代です。

 ですから、こんにち支配層が「改革が進まないと日本は滅びる」というのは、半分はウソです。つまり国民におっかぶせるという意味ではうそですが、しかしもう半分は事実なんですね。かれらの死活がかかっている。かれらは生き延びようとしている。

 ですから、かれらに政治を委ねて、かれらの後ろにくっついていけば、最後にかれらは自分が生き延びるために仕事をするわけですから、国民の多数のことなど考えていない。これが実態です。

 それだけに私は、世界の危機が深ければ深いほど、確固として労働者は労働者なりに、国民は国民の多数なりに、自分の足で立つことが重要だと申し上げたい。自分で乗り切ることが重要だと思うんです。大企業家の後ろにくっついていけば、かれらは最後は自分が生き残るためにどんなことでもやりかねない。

 ですから、とりあえず橋本政権は「改革」を進め、十万の米軍に身を委ね、アメリカと運命を共にする道を歩んでおりますが、国の運命をここに任せるにはあまりにも危険だと思います。

 中曽根元首相は最近、いろいろ理屈をつけて危機を予測してみせた。「二〇〇二年頃が危ない」とこういうことを言っている。つまり国際的な危機が迫って、「三途の川を渡りかねない」と。

 また最近『資本主義の未来』を書いたレスター・サローが、一九九九年の通貨統合で「ユーロ」ができると世界経済の三割を「ユーロ」が単一の通貨として持つことになる。その時に、ドルより「ユーロ」がよろしい、安心らしいと乗り換えると世界は大変なことになる。これは単に日米二国間だけでなく、世界的規模で大変なことになる。まずアジアは米国に輸出できなくなりましょう、ドルが下落するから。日本もドルが下落する、別な意味でいえば円が上がると日本経済は止まるだろう。これは世界中で大変なことになる、その可能性があるということを書いている。

 最近、財界のいろいろな文章もその種の危機がいつ頃ということを予測する向きが非常に多くなっている。

 その当否はともかく、どんなことになっても自分で自分の運命を握る、運転する、ということであれば、そこそこに時々の状況の中で最も都合のよい、国民の多数にとって都合のよい道を選択する可能性が見つかる。しかし、財界に政治を任せる、自民党や他の隠れた悪党共に政権を任せて、国民の多数がそこにくっついていくとなれば、自分で運命を選べない。こういうことになろうかと思います。

 したがって、私はこの改革は考えようによっては、これと真っ向から闘って失敗させるべきだと公然と言ってよろしいと思う。この敵の進める改革は、かれらもよろめいていますが、われわれサイドからも徹底的に闘って、かれら流儀の改革を失敗させる必要がある。

 そんなことを言えば、今の政党、与党も野党も、社会民主主義者も、びっくりして飛び上がるかもしれない。「恐ろしいこと言う」と言うかもしれない。しかし、これが真実です。そうすることが生きるための真っ当な道だと思います。

 ではその力があるのかという問題ですが、敵と味方の力関係というのは相対的なものです。われわれの側がかくも分裂している、かくも認識が様々である。というよりむしろ、かくも認識が敵にとられてしまっている、敵の言い分を信じている。こういう実態がこの弱さを形成しているのです。

 われわれが認識を整頓して、「そうか、改革の先は地獄か」「アメリカを見ればちゃんと分かる」と認識を整頓し、広範に団結、連合を進めて巨大な勢力になれば、力関係はこれはもう確実に逆転するわけです。どこから見てもこれは実際なんですよ。

 支配層の側からすると「分割して支配する」ということでしょう。そのために、かれらは認識面で大きな努力をやっている。マスコミを挙げ、学者を動員してやっている。しかし、私たちが「敵味方の力関係はきわめて相対的なもので、われわれの内側に弱さがある」という点に気付きさえすれば、どうにもならないものではない。内側のことはわれわれが解決できるはずです。

 わが党とどの党とか仲が悪いとすれば、これは両者の話し合いで解決できるはずではありませんか。労働者階級と他の中小業者(かれらはずーっと自民党を支持してきた)、だけれども、ここは政治です。同じ運命にあり、団結を進めることは可能です。

 こうやって闘いさえすれば、この状況はこんにちどれほど政治の実態がわれわれにとって不利に見えても、現実の客観的状況をきちんと見さえすれば、われわれが確信の持てる状況が限りなく広がっていると思います。これが真実だと思います。これを確信して、わが党はみなさんと共に断固として闘いたい。

 新年に、長々と党の所信を申し上げましたが、わが党に対する引き続く連帯と支持をお願いいたしまして、新年のあいさつに代えさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。


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